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ザ・近松 物語

 時は元禄、大阪の町は、心中、強盗殺人が相次いでおこっていた。どれ
も金と欲の絡みが原因で、そのすべての事件に、町内の高利貸し八右衛門
が絡んでいた為に、町の人々は、八右衛門を地獄の鬼のようだと言ってい
た。八右衛門は頼めば簡単に金を貸してくれるが、取り立ては人一倍厳し
く、容赦がないのだ。けれど、やむにやまれぬ事情により、八右衛門から
金を借りなければならない人達も大勢いる。八右衛門は、そんな人達の足
元をみて高い利息をつけ、文句を言う者には決して貸そうとはしなかっ
た。しかし多くの者は、それでも借りない訳にはゆかず、結局、八右衛門
に頭を下げてしまうのだ。そんな訳で、八右衛門の店は繁盛する。そして
彼は、愚かな心中者や殺人者を冷笑するのだった。

 だが、八右衛門の女房おさんは、気が気でない。彼が、世間でこそ鬼と
呼ばれているが、一旦仕事を離れると、穏やかで知的な男であり、何より
も自分を大切にしてくれる、優しい、いい夫なのだ。いつか二人の為に江
戸へ上がり、まともな商いで身を立て、幸せな家庭を作るのを夢見ている
八右衛門と知るだけに……。

 醤油屋手代忠兵衛は、天満屋の遊女、お初に入れ上げ密かに通いつめて
いた。しかしお初には、ある金持ちからの身請け話が持ち上がっている。
勿論、奉公人の彼には張り合う財力などない。それどころか忠兵衛は、す
でに天満屋通いの為に、高利貸しの八右衛門からかなりの金を借りてい
た。忠兵衛とお初は、かなわぬ恋に泣き濡れる。

 その頃、金の返済に困った男が、ついに強盗殺人を犯して捕まった。捕
まったのは、与兵衛という忠兵衛の遊び仲間で、親に勘当された放蕩息子
であったが、親の愁嘆を目の当たりに見た町の人々は、再び激しい非難を
八右衛門に浴びせる。
 ついに、おさんは決心して、八右衛門に無茶な貸付をやめるようにと願
い出る。いくら商売でも、貸さない親切も必要ではないかと。だが、八右
衛門は聞き入れず、「自分は何も悪いことはしていないのだ。色恋みたい
な、しょうもないもんに溺れる阿呆どもは、ほっといた方がええんや。」
と言うばかりだった。

 そんな折りもおり、八右衛門の留守に、忠兵衛がまた金を借りにやって
くる。聞けば、女郎屋通いの為だと言う。おさんの説得が始まる。「いく
ら好きでも、身まで滅ぼしたらおしまいやないの。目を覚ましいや、忠兵
衛さん……。」その日は、一銭も貸さずに忠兵衛を追い返したおさんだっ
たが、金に困った忠兵衛が、一体何をやらかすかと、案ずれば案じるほ
ど、不安になって仕方がない。
 そして、次に忠兵衛に逢った時には、時すでに遅く、彼は店の売上金に
手を付けるという、してはならぬ事をしてしまった後で途方にくれてい
た。もう死ぬしかないと泣く忠兵衛に、おさんは八右衛門の為と思い、江
戸に店を出す為の大金を貸すのだった。ただしそれは、女郎屋から金を返
して貰うまでのつなぎの金で、必ず遊女とは手を切るようにと、再びこん
こんと諭すのだった。その優しいおさんの心根を聞くや、忠兵衛はいきな
りおさんを抱き締めて言うのだった。「好きになってしまいました。おさ
ん様、わて、こんなに人に優しくされたのは初めてだす。好きになってし
まいました……。」
 驚き、うろたえるおさん。けれどその時、おさんの身体の奥底で、何か
がはじけるような音を聞いた。思えばおさんは、こんなに激しく男に抱き
締められたことはなかった。八右衛門は何時も大切にしてくれたし、優し
かったけれど、こんな風に抱いてくれたことはなかった。自ら揺れる心に
戸惑う、おさん。  今、それぞれの運命の歯車が狂い始めた。